Category: bridge
瀬木橋
Posted by fische on 02/16 at 12:51 AM
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常滑にある瀬木橋。欄干の四角い窓を透かさずレリーフにした重厚なデザインが印象的である。この様式の橋は、知多半島の国道に散見される。
白色塗彩された欄干とその両側に接した頭部半円形の親柱が本来の橋で、それを覆うようにして無彩色で頭部平面の親柱が後補されたように見受けられる。本来とみなした親柱に白色の陶製銘板があることも、これを支持する。後補の親柱四つは形状が等しくなく、土地の状況にあわせて設けられた印象がある。現在は本来の欄干の外側に歩道があるが、これの設置の際に加えられたと考えられる。
後補の親柱に「瀬木橋」「大正十三年九月架設」の黒色(石製?)銘板がある。本来の銘板が後補の親柱によって隠れて見えなくなるため、これに替わり設けられたのであろう。(なお本来の銘板のひとつは隠されていないが、文字を読み取っていない。)
これに間違いなければ、大正13年の橋は、少ないながら私が見たなかでは比較的古い。あるいはその重厚なデザインは、その時間的早さに由来する技術的な制約から来したものなのかもしれない。
豊浜の橋
Posted by fische on 10/06 at 10:12 PM
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午前、通院の老父を送迎。午後、その足で南知多へゆく。父のむかしの職場の後輩宅を、父と訪問する。父たちが会うのは、20年以上ぶりだと言う。その人は喜寿。奥さんもお元気。お声は変わらない。しばし歓談して辞す。
豊浜まで足をのばし、偶々遭遇した橋をカメラに。「豊浜橋」「悪水路」「鳥居川」「とよはま橋」。曲線が弱く直線的な感じ、文字使いなどから、昭和後期のものだろうか?
颱風の近づく漁村をぬけて帰る。
笠川橋
Posted by fische on 10/02 at 04:25 PM
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こんな小さな橋も、固有の意匠が施され、銘をもつ。架木にあたる部分のゆるやかなカーブが、ひかえめに美しい。「笠川橋」「笠川」「かさがわは(し)」「昭和七(年)八月改築」。
橋
Posted by fische on 04/17 at 02:44 AM
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“bridge”というカテゴリを新設。橋というか、欄干。
橋。と言えば、上田篤の「橋の博物館」(倉敷市)。上田篤と言えば、その岳父・今西錦司。今西錦司と言えばサル。サルと言えば広瀬鎮。今回、「20世紀日本の博物館に関する研究」で、上田の博物館論「ミューズランド」を、博物館という観念の終焉に位置づけたが、その先、あるいはその外に広瀬鎮がいたというのも、ゆえなきことではないように思える。また、今西錦司と言えば、岐阜の百年公園。そこに岐阜県博があるが、岐阜県の博物館と言えば、やはり出会うのは広瀬鎮。総じて、京都学派である。かように連想ゲームは続くが、橋とサルはどのように接続するだろうか、というわけではなく、ただ橋が気になるだけのカテゴリ。
最初は、美濃白鳥で見た橋。調べていないので、名前は不明。昭和前期ぽい感じがする。
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