Category: homage
「乗りこえられた前衛」の日
Posted by fische on 06/15 at 12:00 AM
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きのう、医院の待合室に2時間いたとき、読んだ新刊の新書で気づかされる。
前衛は乗りこえられた。…一人の少女の死面と国会議事堂のモンタージュがこの時刻を浮き彫りにしている。
(谷川雁)
いゆきかへらふ
Posted by fische on 06/24 at 02:36 PM
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吉田先生の若い頃の写真は多くを知らないが、別の写真と撮影時期を近しくすると思われる。こちらのほうが後出か。右から、藤森栄一、杉原荘介、吉田富夫、江藤千満樹、中村春寿の各氏。(「京大にて、左から栄一、杉原、吉田、江藤、中村の若き考古学徒たち」宮坂勝彦編『信州人物風土記・近代を拓く 第一期全二十二巻』第9巻(可能性にこそ/藤森栄一)、株式会社銀河書房、1989年5月30日、66-67頁。)
なおこの写真は、「杉原荘介記念室」に転載されていて、文中「撮影 藤澤一夫先生 ドイツ製アルピン蛇腹カメラにて撮影 昭和15年頃」とある。これが正しければ、昭和5年の西志賀貝塚発見以降続けてきた自身の弥生土器研究を、杉原荘介氏との共著「東海地方先史時代土器の研究」『人類学・先史学講座』第13巻、雄山閣、1939年12月26日、1-51頁、で総括した直後の撮影であり、吉田先生の戦前の活動がピークを迎えた時期にあたる。
さ、考古学
―― On the day of the content-certified mail.
赤松啓介と見晴台
Posted by fische on 03/26 at 01:23 AM
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今度、「見晴台教室」や「見晴台遺跡発掘調査のあゆみ」などを読ませていただいて、「月の輪古墳」発掘調査以後に、このような「市民参加の原則」を堅持した運動が、二十年に渉って継続されていたことを知って、まことに迂闊であったと驚いたのであり、かつその運動の中心に居られた岡本さんの努力を知ったことであります。
(赤松啓介「文化財保護運動の軌跡」岡本俊朗追悼集刊行会編『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記―日本考古学の変革と実践的精神―』、岡本俊朗追悼集刊行会、1985年8月2日、539頁。)
赤松先生はそう書いて、「見晴台遺跡発掘調査の具体的な様相については、現地の皆さんがよく承知しておられるので、私などまだ現地を踏んでもいないものが、とやかく申すことはありません」(前掲書540頁)と続けた。
そして1985年夏、赤松先生は見晴台遺跡に立つ。岡本さんの本の刊行記念の集いに遠路参加された翌日のこと。
赤松先生が亡くなって、きょうで13年。
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