Category: homage
too soon gone
Posted by fische on 10/29 at 11:47 PM
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高橋史雄先生ばかりか、君までもがこんなに早く逝くなんて。
小川政輝くん、安らかに。
志賀の町をあなたと自転車で走ったことを忘れません。
夏の遺跡(2)
Posted by fische on 09/29 at 07:37 PM
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ちょうど40年前、1971年の夏に見晴台遺跡第9次発掘調査があった。高校1年生の私にはとても賑やかに見えた。低地から天の開けた台地上に移ったことや、前年1970年に調査がなかったこと、末岡熙章先生引率の高蔵高校女子生徒が参加していたことなどがあったからであろう。10次はもっと賑やかだったが、その前兆であったといまになって思う。
見晴台遺跡発掘調査の長い歴史のなかで、1972年の10次調査は新しい考え方と新しい体制とを掲げるものとして正しく記憶されてよいが、その原形が9次にあった。一方でその9次は、1~8次の性格をも継続していた。見晴台遺跡の保存活用を旨として1963年に組織された民間の名古屋考古学会があり、9次までの調査団団長を同会会長の吉田富夫先生がつとめられたことがこれをを象徴する。そして、9次から文化財保護行政を担当する専門職員が登場した。ふたりが同席した見晴台は9次が最初で最後であった。
日常は無分別にだらだら続いていくようでいて、時として「ここが時代の画期である」と指し示すことのできる一点のあらわれることがある。私は10次よりも、アモルファスな9次にそれを認めたい。分水嶺であった、と。
私は8・9・10・11次の調査に参加したが、中心は9次にあった。参加日数も多かったし、写真もたくさん撮っていて、それは調査後、東山荘における秋の遺物整理まで続いた。私の考古学の性格を決定したのは紛うことなく岡本俊朗さんや齋藤宏さんのいた10次だが、9次はたどり着けない未来のようにしていつもあり、その中心に吉田先生がいらっしゃる。
写真は、グリッドを設定し表土層を剥ぎ始めた調査初日頃のもの。一番手前が吉田先生、一番高い位置にいるのが井上光夫さん、その右隣の眼鏡の人が桜井隆司さん。おふたりともいまでは定年退職されてしばらくが経つ。同じ時の別の写真はこちら。(つづく)
夏の遺跡
Posted by fische on 08/07 at 01:26 AM
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しばらく吉田富夫先生のことを思い出していた。名古屋の考古学者の―。1969年の見晴台遺跡第8次発掘調査に参加したときが、お目にかかった最初だと思う。中学2年の夏のこと。
記憶に鮮やかなのは、1971年7月28日から8月15日にかけて実施された見晴台遺跡第9次調査である。期間中のある日、杉戸清名古屋市長が来られ、台地の上、南の方を向いてふたりで立ち話をされていた。先生が遺跡の説明をされていたのであろう。7月19日、市長が笠寺公園の歴史公園としてのマスタープランを発表したばかりだった。吉田先生にとってもひとつのピークだったに違いない。マスコミの取材にも嬉しそうなお顔をして写真におさまっていらっしゃった。
しかし、その年の11月21日、先生は急逝されてしまう。59歳。私が知っているのは、57歳からの先生であり、いまの私と2歳違うだけだが、中学2年から高校1年の私には、もっとずっとおじいさんに見えた。
いつだったか、見晴台遺跡発掘調査からの帰りだっただろうか。名鉄名古屋駅の広い階段でお見かけした先生、聞こえたのは荒い息づかいだった。(つづく)
Phoebe Snow
Posted by fische on 06/03 at 09:41 AM
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いま Emmy Curl を聴いていて思いだしたこと。
過日のライブの幕前、幕間にかけていたのは、Loreena McKennitt と Phoebe Snow 。今回わたくしは、音楽CDを持ってきていなかったため、出演者の持っているCDから選んだもの。会場の喧噪のなか、Phoebe Snow の歌が聴こえていた。過日、若くして他界した彼女が、意識のずっと向こう、遠景のようにして浮かんだ。そのこちら側でわたくしは、話したり、準備したりしていた。
展墓
Posted by fische on 11/07 at 12:00 AM
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4日、一ノ谷天之助さんと田中もQさんのお墓参りにゆく。
ことし前半、名古屋にいた際、TOKUZOのハヤシイズミさんから提案されるも、時機を失していたもの。彼女名づけて「念願の墓参りツアー」。TOKUZOの社長・森田裕さんお手製の地図を手に、高速道路を一路南へ。勢和多気ICで降りるとあちこちに「大台町」の表示。ああ、ここからは、あの雨林の大台ヶ原が続いているのだ。山に囲まれた閑かな里に、天之助さんのお墓はある。ハヤシさん曰く「天さんが「兄ちゃん、久し振りびっくりしたああ」とデカイ体で抱きついていたように見えました」。どうかしら・・・。そして、いま来た道を戻り、久居ICで降りてもQさんのお墓へ。町中の古いお寺の墓地。いまはなきお店KUKUで、一度セッションしたことがある。無口な人だった記憶があるが、怒っていたのかもしれない。帰路、サービスエリアに寄ると、突如ハヤシさんが騒ぎ出す。K.D ハポンの店長・森田太朗さんご夫妻と遭遇。わたしは初対面だったので、ハヤシさんに紹介していただく。
写真は天之助さんのお墓に対峙するハヤシイズミさん。天之助さんともQさんの在籍したバンド、バレーボールズのサイトはこちら。
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