旧「赤坂町産業館」
Posted by fische on 04/09 at 12:47 AM
大垣にゆく。金生山から見ゆ名古屋駅JRセントラルタワーズ。くだんの馬具のことを想起しつつ知る、どこにでもゆけそうなことを。霞か雲かのごときサクラ、濃尾平野のあちこちに。そして、その人と「おなじ場所を」と思いながら立ち、シャッターを切る。45年後のこと。
旧赤坂町産業館は1964年、現在の化石館1985年、どういう事情なのか19年というのは、建て替えには短いように感じます。化石コレクションを提供された熊野さんは旧赤坂町の小学校校長、また町長もされておられたそうですね。
ところで、45年前の写真には、赤坂町産業館の隣に目立つ様式の建物が写っています。看板らしい文字が判読できなかったのですが、これは何でしょう? ポ・中久Posted by .(JavaScript must be enabled to view this email address) on 04/12 at 07:03 PMはい。この写真、右側をあけて撮影しているのは、そういう理由からです。右側にあった建物は、外観だけですが、赤坂港会館として現存しています。ここです。→ http://www.og-bunka.or.jp/guide/minato/index.html
Posted by .(JavaScript must be enabled to view this email address) on 04/12 at 07:20 PM追伸:「短い」かどうかは、それぞれの事情によるため、モデル化して言うことはできないと思います。現に、茅野の尖石の博物館は、中学生以降わたくしが生きているあいだに、同じ場所で二度も建て替えをしていて、土偶の国宝化のバブリーさに、「へっ?!」とした次第です。なおなお、旧赤坂町産業会館は、いまも倉庫として使用されていますから、くだんの化石館は厳密には「建て替え」ではないと思います。
Posted by .(JavaScript must be enabled to view this email address) on 04/12 at 07:33 PM今は赤坂港会館となったあの姿の明るい雰囲気は、復元された外観なのですね。それにしても、この町でこんなにも長く用いられてきた明治建築には、やっぱり大理石とか使われていたのかしら?なんて思いましたが、これは安直な連想でしたね。
Posted by .(JavaScript must be enabled to view this email address) on 04/13 at 11:02 PM